外資系広告会社に勤めていた頃の話ですが、海外のコピーを日本の広告に使うように翻訳するのは大変でした。
ニュアンスが伝わらないからです。翻訳には苦労しました。あーでもない、こーでもない、とプロの翻訳家の先生にご指導いただきながら、クライアントの意向を汲みながら、直訳じゃあ伝わらない、本質部分を、どう伝えていくか。そこに面白さを感じながら取り組んだものです。
グローバル競争の中に飛び込んでいった場合、シリコンバレー化するのではなくて、「フィリピン化」する懸念がある、という指摘がありますね。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/11/30/se/
確かにそういう一面もありそうです。
日本語には繊細な表現がありますね。無を表現するなど、微妙なニュアンスを伝える感性は、時にはヘンタイチックに思えるほどですが、日本ならではの感じる力っていいなと思います。
しかも、せっかくグローバルな英語を使いこなせるようになった、としても、その先が、外資系企業のコールセンターのアルバイト、なんてことなら、それが本当の幸せですかねえ?
現在の円高を活かして、海外に進出している企業も多いことです。もはや経済はグローバル化。投資効率の善い場所へどんどん移動していく、それが当然のこと、と言われていますね。
でも、採れたての地野菜の美味しさを知ってしまったら、流通の野菜を買う気にはなれませんものね。無農薬で野菜作るのは手間隙労力情熱がかかるけれど、その手間隙労力情熱を惜しんでしまったら、美味しい野菜は手に入りません。
効率を重視するグローバル化よりも、むしろ、効率化で、あふれてしまった人たちの手で、手間隙労力をかけて、愉しみながら美味しいものを、ゆっくりゆっくりと、信頼を基盤に置いて、作って愉しむ。そうした「ローカル化」のほうが楽しめるのかもしれません。
それでは。今日もお元気で!

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